leading a book_005 思ってもいないこと言うな

 オードリーの若林さんの考え方がとても好きだ。特に、この間テレビ番組で「バカだから本読んでるのに」と言ってくれたのには唸った。その「バカ」の使い方がとてもいいな、と思ったのだ。「バカだから本を読んでるのに、何のバカかばれたくないじゃないですか。頭いい人は、本読まずにフェスとか行って、楽しく人生送れるじゃないですか。それができないバカだから、本読んでんのに」。そうなんだよなぁ、と思う。本なんて読まなくたっていいんだ。バカでなければ。

 cakesというwebメディアがある。「今」を映したおもしろい記事が多いので、お金を払って読んでいるのだけど、そのなかに作家の平野啓一郎さんとダイノジ大谷さんの対談が掲載されていて、若林さんのことがチラリと触れられていた。自身のラジオ番組に平野啓一郎さんを呼んだきっかけというのが、とある番組会議で若林さんが平野作品に「救われた」と言っていたことだったという大谷さん。

彼はグルメ番組のリポートをしたくても、「おいしい」ってひと言がどうしても言えなくて、その仕事を受けられなかったと言うんです。なぜかといえば「何かを食べて実際においしいって言葉を発したことがそれまでなかったから」と言うんです。だけど、平野さんの作品を読んで、「そういうことを口にできる自分もいるはずだ」という感覚になれたというので、面白いなと思ったんです。

この話、「オードリーのオールナイトニッポン」でもいつだかしていたなぁ、と思う。ラジオもよく聞いている(かなりファンだ!)。若林さんの著書『社会人大学人見知り学部卒業見込み』にも「高級料理=幸福。論」というエッセイがあった。

​グルメ番組で高級料理のレポートをするとき、予定調和的に「おいしい」と言わなければいけないことへの違和感。自分がそこで「おいしい」ということで、20代のお金がなかった時代に培った舌の感覚だとか、「高級料理を食べられるから幸福だというわけではない。むしろもっと大切なものがありますよね」という価値観だとかを否定しなくてはいけない。でも、仕事なんだから、嘘でもいいから、うわべだけでもいいから、「おいしい」と言えば、全部丸く収まるのだ。たったそれだけ。「おいしい」と言うこと。でも、言えない。
 
 若林さんのこういうところが、本当に好きだ。

 つい最近、わたしもそんなことがあった。取引先とのやりとりの中で先方の要望が徐々にエスカレートしていったときのこと。まるで、自分たちの意見は何でも受け入れてもらえるというような、明らかな上下関係みたいなものが生まれつつあった。その過程で「そんなに怒られないといけませんかね」と思うようなメールを向こうが送ってきた。白黒はっきりつけたがり、さらに面倒なことに自分の気持ちに嘘をつけないいつもの私なら「そこまで言うのであれば、もうお取引は不要です。さようなら。」と吐きつけてしまうところを、今回の私は、耐えた。「私の確認不足でございました。申し訳ございません。云々。」と徹底的に下手(したて)に出て事を穏便に済ませることに成功した。

 ただ、このときの私のストレスレベルは「最強」だった。バイクのエンジン音を静かな夜道にとどろかせる人たちと遭遇するくらいのストレス。これだけ思ってもいないことを言うのは久しぶりだった。本当に乾いた言葉。何の意味もない(あったのか?)。冷たいとか、熱いとかの温度もない。くだらない言葉。

 このメールを送信したとき私は「あぁ。私もオトナになったなぁ」と思った。思ったと同時に、激しい嫌悪感を覚えた。この違和感は初めてではない。むしろ、大学生のときのアルバイトをしていたころからずっと、ずっと、感じていたこと。

これがオトナなら、オトナって何なのだ?

耐え忍ぶことがオトナなのか。自分に嘘をついて、その場を取り繕うのがオトナなのか。そうやって、いろいろな理不尽に立ち向かう対価が、給料なのか。仕事のやりがいなのか。どうしてこんなことを、みんな、平気でやっているのだ。どうして。


 若林さんに話を戻すけれど、去年の「オードリーのオールナイトニッポン」に西加奈子さんがゲストに来たことがある。そのとき、西さんは若林さんのことを「不良」と形容していた。

「いや、それってなんでそうなったか?って、なんて言うの。ふてくされているからふてくされているんじゃなくて、すごいまっすぐな性格やから、ふてくされてまう子っておるやん?その感じ、(若林さんには)すごいすんねん。避けれたことに全部ブチ当たっていってて。」

 例えていうなら、西さんの中学校時代の同級生。「数学を教えて」と西さんに請うてきた男の子は、「三角形の内角の和が全部合わせると180度になる」ということが「わからなかったの」だそうだ。それは、ただの「わからない」なのではない。根本的に、知りたいのだ。180度になる、その理由を。クラスでも問題児扱いされているその男の子が、「全然アホなんかやない!」と思って感動したというエピソード。若林さんもそれに似ているという。

 1+1=2を「どうして2になるのかわからない」と立ち止まる人はなかなかいない。でも、時々そういう人がいて、そういう人は「なんでこんなに考えなくちゃいけないんだろう」と自分で自分を責める。不器用なのだ。有り体な言葉で言えば。なんで仕事だからといって「おいしい」と言わなければならないんだろうとか、なんでことを穏便に済ませるために思ってもいない「ごめんなさい」を言わなければならないんだろう、とか考えてしまう。

でも、それを「すごい才能だよ」と認めてくれる人がいる。そして、あるときふっと救われる。

と、思ったけれど今日のこの記事で紹介した文章だって、多分に嘘と誇張は盛り込まれている。だって、忠実に話したら、どの会社の誰のことかわかってしまうから。でもこれは、誰かを特定されないための、優しい嘘だと思いたい。あのときの、ごめんなさいとは、別の種類の。

20161229/age26 ariakezuki