tsukimitainiとp

 今から2年前。

 2014年の夏、わたしは新卒で入社した会社を1年で退職して、北海道に出稼ぎに行くわけですが、その前後に住んでいた鎌倉のシェアハウスで、ルームシェアをしていたのが通称「p」という「おねいちゃん」でした。仕事で悶々としていた日々を支えてくれたのは彼女でしたし、とにかくわたしは本当の「おねいちゃん」のように彼女に甘えていました。

 pは、わたしのことをとにかく褒めました。

 褒められ慣れていないので、「なんでそんなに褒める?」と聞くとpは決まって「本当のこと言ってるだけだよ」ととぼけるのでした。

 その反面、怖いぐらいに一瞬で本質を見抜く力があります。
 
 わたしが人間関係でうじうじ悩んでいると「それは、他人が信じられないんじゃなくて、自分が信じられないだけじゃない?」とかって、それを聞いた私といったら、全身の血の気が「サーッ」と引くのがわかるのです。そうして、思わず笑うしかなくなります。的を射すぎているからです。彼女には、私のどこまでが見えているのだろう。敵わないと思いました。これからも、きっと、ずっと。

 北海道に行って4ヶ月が経ったころ、pがシェアハウスの住人ブログにとある記事を載せました。内容は、北海道に行った私との手紙のやりとりに関してでした。「往復書簡」と名付けられた、そのブログのエントリー。pは私の文章について、このように書いていました。

「さいちゃんのあの文字とあの言葉の選び方、文章に無駄がなく、不足もなく。生活や性格が出ます。文字や文章には。さいちゃんの文章はいつも静謐な月明かりのような印象を受けます。そして涙を誘う文字。」

 わたしは、こんなに美しい表現で、自分の文章を評価されたことは生まれて初めてでした。そして、後にも先にもこんなに美しい言葉をもらうことは、もうないのかもなぁと思ってしまうぐらい、そのときのわたしには、ありがたくて、ありがたくて、たまらない言葉でした。pの表現してくれたそれは、わたしがこうありたいと願う理想の文章の在り方、まさにそのものでした。こんな文章を書きたい、と思い描く理想を、言葉にできなかった当時のわたしに代わり、しっかりと言葉にしてくれたのはpでした。pは、わたしなんかよりずっと言葉を使うのが上手なのです。

 絵も文も、何にも自信がなかった私に「臆することなく絵も文も料理も世に出していってほしい」といってくれたのは彼女でしたし、彼女に会えたことは私の人生において大きな意味をもっています。彼女にとっての私が、私にとっての彼女のような存在かはわからないですが、それでも私はこれからもずっと彼女に感謝をし続けます。

tsukimitaini は、このような物語とともにに生まれました。

こうやって、今日お話している内容を彼女はまだ知りません。Facebookもやっていないから、このブログのことも知りません。でも、久しぶりに手紙を書いてみようと思います。そして、次はいつ会えるかしら?とちょっと勇気を出して尋ねてみようと思います。

20161118/age18 imachizuki